西欧中世における都市と農村のバランス

   西欧中世における、都市と農村のバランス

西欧中世における都市と農村は、互いのバランスの上に成り立っていました。農村では主に、第一次産業物、すなわち、主な穀物、畜産、地域によっては漁業、それに加えて、場合によっては衣類の原材料(麻など)を生産・蓄積させ、都市部では、その生産物を主体とした商品、すなわち、加工肉、乳製品、酒類に加え、余剰生産ともいえる様々な物品、すなわち衣類、文房具、貴金属などを扱っていました。

 中世前期では、まだまだ気候も寒冷で、農業改革も行われておらず、歴史家たちは、この時期の都市の姿は、ローマ時代からの縮小時期だととらえています。硬貨が流通し、様々な中小都市に溢れていた西ローマ帝国時代と違って、ガロ-ローマ時代に入ると、ゲルマン民族の流入もあり、貨幣経済と都市ネットワークは、みるみる縮小していきました…。ゲルマン民族は、当初主に畜産物を中心とした食生活を送っていたため、ガロ-ローマ領域における穀物生産主体の生活形態に同化されるまでには、時間がかかりました…。

 一般的な前期ヨーロッパ、すなわちフランク王国時代においては、貨幣経済と大規模な第一次生産物生産量拡大は見込めません。そのあとに続く中世盛期においては、中世の温暖期とも相まって、逆の状況が生まれました。すなわち、開墾などによる余剰生産物のおおきな増大と、第二次産業物の増加、都市商人層の発展です。都市ギルドなどと呼ばれますが、そもそも、11 ~ 13 世紀にあたる中世盛期において、ギルド制は成長を見ました。硬貨経済に関しても、ジャック・ル・ゴフなどの指摘通り、中世盛期においてこそ、様々な硬貨が作成され、それに含まれる鉱物のパーセンテージで、硬貨価値も上下するという、今日の一般的な中世貨幣経済論が適応されるのです。

     中世盛期から、中世後期の危機時代にかけての

     都市と農村の状況

 14 世紀の危機の時代に入り、まず、大飢饉の影響が生じます。小氷期の始まりで、犠牲者がかなり出ます。次に、英仏による百年戦争の惨禍、さらに、グローバルな黒死病の伝播が、ありました。この2~3つの惨禍で、欧州の社会経済網は大打撃を受けます。それまで正常に動いていた流通網が麻痺し、貨幣の危機も起こります。つまり、明らかな社会停滞で、貨幣が正常に移動・流通しないという問題です。農作物収穫減、人口減もありましたが、ジャック・ル・ゴフなどは、この時期の貨幣の歴史を、貨幣の危機と表現しています…。ペストにより正常な社会運動が麻痺し、犠牲者が多く出たのは周知の事実です。ルネサンスの時代の夜明けまで、欧州地域は、混乱と惨禍に見舞われました。人口が回復し始めるには、15 世紀の到来を待たねばなりません。


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