元代の税制、包銀制と糸料

       支配手法としての包銀制と絲料  

以前昭和中期から後期にかけて、安部健夫氏、愛宕松男氏による元朝期における包銀制と糸料の研究がありました。当時元王朝が、支配下の漢民族から徴収した税の中で、とくに厳しく取り扱われたものとして、両氏はこの税法をある程度研究しています。とくに安部氏の研究を注いだ愛宕氏は、包銀制と糸料によっての搾取の形態をかなりおおはばに研究しています。そもそも農民が銀納を強制されたのはなぜか、糸とは農民に課せられた貢納のなかでかなり重いものだったなど。

 

 まず、包銀から見て行きましょう。字の通りに解釈すれば、ほとんど資産価値が落ち込んでいる流通紙幣を、包へ放り込んでひとつの集まりと考えさせられるのが、包銀です。これは、この包銀制の語源の問題で、安部氏が記述していらっしゃいます。

 また、糸料に関しては、例えば租庸調の調にあてはめられるような、字の解釈をさせられます。例えば、調のなかでも取り分け高価な絹などが、読者のあたまにイメージされるでしょう。

 以上は字のままのイメージを連想させての説明ですが、ここから制度として発展させてみると、すこし違った史実があったようです。まず、包銀については、やはり、銀あるいは白銀とよばれる、貴重な銀の搾取だったと考えられます。元王朝では、イスラム系の色目人がおおきな特権を持っており、銀は色目人商人を通じて、ゆっくりと西方アラビア地域へ流出していきました。また、糸料に関しては、どのような織物だったかという決め手となる分析が完了していませんが、調分野の賦税における、かなり苛烈なものであったと分析が進んでいます。総じて、もうこれ以上効果的な穀物・銭貨による上税ができなくなった漢人(支配されている一般的漢民族)にたいし、これでもかといった賦課を課す場合に用いられたようです。銀に関しては、一般的な銅鉄などの銭貨に比べて明らかに負担が大きいものを、あえてペナルティとして納付させ、糸料に関しても、絹だけではないにせよ、当時のモンゴル支配体制層が十分に財源を確保できるだけの調税を搾取するという過酷なものだったようです。これらの安部氏と愛宕氏の分析は、史学的にも十分考慮の価値のある者であり、14 世紀中国王朝の特殊税制として研究に値すべきものと言えます…。








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