西欧中世の都市

          西欧中世の都市…。

 ローマ時代、存続していた都市は、キウィタスなどと呼ばれ、古代の商業網の中で存在していました。

 中世前期のゲルマン民族の流入のなかで、キウィタスは防壁を強化しながらも、つぎつぎと衰退していきました。

 これにかわり、中世において、都市的な存在として誕生するのが、ブールです。修道院や司教座、領主層の所在地などを中心に、商工業をともなった中世的都市すなわちブールが発展していきました。

ドイツ・ベルギー学界によって先行された中世都市形成期の研究では、地誌論と共同体論が、相互に関連しながら中心主題を構成していきました。2核構造、すなわち、前都市的核と、その近くに出現する、ブルグスなどと呼ばれるあたらしい定住地を、西ヨーロッパに共通の現象として理論化したのは、ピレンヌです。彼によると、10 世紀末からの商業復活に伴い、唯一の商人形態である遍歴商人が定住を開始することによって、前都市的核のそばに商人定住地が出現すると解かれています…。

2つの核は対立する性格をもち、封建的社会秩序に適合した前都市的核は、商業を単に結晶させる点に過ぎないのにたいし、自治都市を積極的に創出したのは「近代的」社会秩序に適合した商人定住地で、12 世紀からその本格的囲壁建設は、前都市的核が維持していた軍事的役割をもうばう…。他方、コミューン闘争は司教座都市に限定され、都市共同体の形成はむしろ、商人定住地の自然的発展の結果であったと、ピレンヌはのべています…。

これにたいしては、反論があり、10 ・ 11 世紀の都市領主の時代と、それに続く共同体の時期とに、都市の発展時期を分け、後者において全市民を包含した誓約共同体の結成があり、都市領主に対する革命的運動の中で実現したという説。また、さらに、前都市的核と商人定住地は協働しており、10 世紀からの商人定住、その囲壁建設と前都市的核との領域的合体・商人と新移住者を包含するブルゲンシスの出現による共同体の全都市化、それにつづいて誓約共同体が成立したという説もうまれました。

(引用:西欧中世における都市=農村関係の研究 森本芳樹編著 九州大学出版会 1988, Ⅳ 中世盛期アンジューのブール 宮松浩憲 1. 序論より。)

確認しますが、当初中世都市の元核をなしていたのは、領主層の居住地だったという前提が、ピレンヌの説からうかがえます。そこに、遍歴商人たちが定住をはじめ、それにともない、両者が融合し、囲壁が強化され、そして、その都市に住む居住者の共同体の形成が起こるという、論拠です…。

 中世都市は、中世前期から、修道院などを中心とした村落共同体などを母体にしているという説もあり、そもそも、都市が都市として成長していくうえで、その核となったのは、どのような社会的存在だったのか、つまり、宗教施設や世俗貴族層の居住区だったのかという疑問が、湧いてくるのです。商人定住地たるブルグスは、前都市的核と融合して、ブルゲンシスなる存在に成長するというのが、主な論拠となるでしょう…。


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