国際金本位制度の崩壊(第一次大戦開戦による…。)

     国際金本位制度の崩壊(第一次大戦による)…。

 第一次大戦により始まった世界経済の激変について、まず第1の問題として、国際金本位制度の崩壊というものがあります…。

1914 年 7 月の開戦に前後して、ただちにヨーロッパの主要金融市場は、その対外短期債権を急速に引き上げ始めました…。

とりわけ短期債権を豊富に所有していたロンドン、パリの引き上げ規模が大きく、ポンドおよびフラン相場が急激に上昇しました。しかし、なによりも決定的であったのは、ロンドン引受商会がポンド為替にたいする引受業務を中止したことでした。ロンドンの引受業務とは、国際貿易取引から発生する商業手形および貿易取引と直接関係なく振りだされる金融手形にたいして、その事実上の債権者(輸出業者ないし手形の最終保有者)と事実上の債務者(輸入業者ないし主として金融手形の振出人)の中に入って、手形が満了になったとき、引受商会が事実上の債務者に代わって債権者への支払を保証する形式の国際的信用供与でした。したがって、開戦によって、事実上の債務者からの支払が凍結されたり、引受商会の対外債務が現実に消失したりしたばあいにも、引受商会は、債権者に対する支払を確実に履行するべき義務を課せられていました。当時、ロンドンの一流引受手形残高は約3 億 5,000 万ポンド(うち金融手形は 2 億 1,000 万ポンド)でしたが、このうち、返済困難が予想されたドイツ勘定の引受は、総額約 7,000 万ポンド(残高全体の 20% )、また、実際に救済融資が要請された額は約 5,000 万ポンド(おなじく 14%、ただし、かなりの対ロシア債権を含む)と推定されたそうです…。したがって、ロンドン引受商会は前例のないほど厳しい危機に直面し、直ちに新規の引受信用を拒否し、さらに過去の対外債務をも急遽引き上げる以外にありませんでした…。

 その上、ロンドン市中銀行も、自行資金の流動性を強化するために、割引市場にたいする短期貸付を引き上げ始め、さらに、一般顧客も銀行への取付け・金兌換を開始しました。この結果、ロンドンの引受・割引市場がともに麻痺状態に陥り、世界の金融中心地であるロンドン金融市場の中軸部分が恐慌状態に入りました。とりわけ引受信用の中止とは、国際通貨であるポンド手形の供給をほぼ全面的に停止することでありましたから、以後およそ2カ月間、ポンド為替取引は事実上上場されない状態が継続したようです…。こうして、世界の外国為替市場は開戦とともにほぼ完全に瓦解したとのことです…。

輸入金はイングランド銀行への売却が要請されたので、ロンドン自由金市場が事実上閉鎖され、このため、輸出目的の民間金購入が実質的におこないえなくなったとのことです…。このようなロンドンの国際信用給与の停止とその引き上げによって、多数のヨーロッパ諸国およびその交戦国は対外決済が困難になり、直ちに為替および預金にたいするモラトリアム、金兌換停止、金輸出禁止を次々と宣告せざるをえませんでした。このように世界の金本位制は、事実上の戦時救済に入る前にはやくも、ロンドン金融市場における「表層的牽引力」の強力な行使、ただし、基本的には商品経済的強制力の行使によって、崩壊のやむなきにいたったのでした…。国際金本位制度は、それを支える金融的中枢、すなわちロンドンの引受・割引業務がまだ強力であったために、戦争勃発とともに直ちに崩壊する運命にあったと言ってよいのだそうです…。

他方中立国アメリカの金本位制は決して法律的には停止しないまま継続します。が、参戦直後に、金輸入が事実上急減すると同時に、主として増大した原料輸入相手国である中立国に対して金輸出が増大したようです。1917 年 9 月、金輸出には、財務長官の同意を伴う連邦準備当局の許可が必要とされるに至り、現実的には、この許可はかなり厳しいものだったので、アメリカでは、これによってついに事実上の金輸出禁止が達成されたとみなすことができるようです…。

 こうして、世界の外国為替市場は開戦とともにほぼ完全に瓦解し、中立国アメリカの金本位制も、その参戦により事実上の停止状態に入ったのだそうです…。(引用:世界大恐慌―1929年恐慌の過程と原因― 侘美光彦氏 御茶の水書房 1994, 第4章 第一次世界大戦の経済的諸結果 [a] 国際金本位制度の崩壊 p.122 ~ )

こうしてみると、開戦時世界の金融市場の中心であったロンドン市場の麻痺から、各列強とも自国内の金の流出を渋って、結果このような大規模な金本位制崩壊が起こり、ポンド手形の供給が停止されたことから、各国は対外決済が困難になり、結果経済の戦時体制への移行が行なわれたようです…。一般的に第一次大戦の議題は、列強の政治的な動きに関心が持たれがちですが、以上のような侘美氏の記述は、そもそも各国経済が戦時体制に入る事前の段階での、世界経済の急激な変化をよく考察なされているとかんじられました…。

イギリス経済に依存が大きい当時の世界経済は、1914 年 7 月末の開戦、すなわちオーストリアからセルビアへの最後通告および宣戦布告により、興ざめしたように市場から引き上げていったと考えられるのです。当時の三国協商とドイツ帝国側の政治関係はあまりにも有名なはなしですが、開戦の前の国際協調が上手くいかなかったので、なかば自動的に各国の取引引き上げが行なわれたのでしょう…。

以上のような側面から眺めてみても、第一次大戦開戦が世界経済にあたえた影響は、その規模の大きさをうかがい知ることができるでしょう…。












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