唐代における「行」の考察
唐代は、洛陽や長安などで、おおきな商業活動が行われました。坊とよばれる都市区画の中でほとんどの住民が生活を行う中、市に代表されるような商業地域は、各坊におけるある程度の土地区域上で、営業を行っていました。
「店」、「舗」などとよばれる商業店舗経営状態は、主に唐代から発展を見るという今までの歴史研究の見解があり、さらにそれが、宋の時代になって、首都開封府を中心に、かなり大規模化していくという見解もあります。これらは、中国の都市商業活動が、緩やかに発展していく様を説明しようという研究から来ています…。
なぜ、「行」という言葉がモチーフになるかというと、行とは、唐代のその発生期においては、同業組合の事を意味したからです。特に店舗数が多い坊、すなわち市と表現されるような都市区域では、互いの収益を守り、管理者側の都市官僚権力から自立性を持たせるためにも、各店舗は、「行」という組合組織を作り出すことにより、その存在の安定化を図ろうとしたとされています…。
行は、新規にその行に参加したいとみられる店舗には、正式に参加を認めるための規則などを設け、それは、管理者としての官僚機関も公に認めるような形態でした。つまり、「行」に参加をしていない店舗がある程度あり、それらは、「行舗」とはいえない、「店」だったのです…。ここで、「行舗」という言葉は、行すなわち同業組合に所属している状態での、舗すなわち店舗のことを意味します。いっぽうで、行外舗とでも言えばわかりやすいでしょうが、比率が行舗に比べて少ないのもあって、行に所属していない、あるいは、所属できないないし所属を認められていない店舗には、行の中での同業組合フォローは行われませんでした。行の中で、行首や行頭といった、行の管理者の指導の下、行内の各行舗は、互いの利潤のバランスを取りつつ経営を行い、困ったときは、行の中で助けを借りるといったような、高度な同業組合制度が、唐の時代の洛陽や長安などの大都市部などで、特に非常に発達成長したと、研究がなされてきています。
行の成立時期
日野開三郎博士の東洋史学論集第7巻、第二部、唐宋時代の商人組合「行」の研究においては、日野氏は、行の分析時期を、唐代租庸調時代、唐代両税法時代、宋代の三つに分けて説明されています。行の成立時期は、唐代と見なしてよいと思われます。唐宋時代の社会経済の発展が、行という同業組合を生み出したのでしょう。
日野氏は、唐代において、都市における坊制の出現が、なんらかのかたちで、行制度を生み出したと説明なされています。そもそも大都市の誕生とともに、坊制が誕生したのでありますから、この坊制が誕生する段階まで都市商業が発展しなければ、行制度は生まれないとわたしたちは日野氏の記述から読みうかがうことはできます…。
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