主要国の戦時経済と経済実態(第一次大戦による…。)
この記事では、20 世紀世界経済の実存として、WWⅠすなわち第一次大戦における、主要国の戦費に関する問題と、主要国の戦時経済ならびに経済実態というものを考えてみたいと思います。引用はいつも通り。(引用:世界大恐慌―1929 年恐慌の過程と原因― 御茶の水書房 1994, …侘美光彦氏… 第4章 第一次世界大戦の経済的諸結果 [b] 主要国の戦時経済とそれの経済実体への影響 p.128 ~ より…。)
いうまでもなく第一次大戦は総力戦でしたが、よってその戦費は当時には未曽有の規模になりました…。
侘美氏の試推によれば、交戦国全体の戦費は総額 2,085 億ドル(うち 70% が連合側、約 30% が同盟側)であったとされます…。しかし各国別に観ると、1913 年価格でデフレートしたばあい、平常時の財政規模を上まわる戦費を支出したのは、イギリス、ドイツ、アメリカ、フランスの4か国のみでした。さらにこの4か国の戦費総額はじつに交戦国全体の 82% も占めたとされています…。ドイツ、フランスの赤字はそれぞれのその収入規模の 6.3 倍、5.5 倍にも達し、これに対して参戦期間の短かったアメリカのそれは比較的小さく、イギリスはその中間だったのだそうです…。
イギリスを見てみると、戦時期間の戦時経済下におけるイギリス国内では、労働賃金は名目的には上昇しましたが、消費者物価の上昇率のほうが高かったので、17 年までは実質賃金率は下降し続け、実質収入さえ 13 年より低い水準にとどまったそうです。イギリスでは特定兵器産業における飛躍的な生産増大が見られましたが、これにたいして、ほかの一般産業の生産はとくに 15 年以降確実に減少したことが明らかなようです。主要な軍需部門をふくむ化学、金属でさえ 18 年までの生産増加はそれぞれわずか 8% 、3% にすぎず、したがって、製造業ないし鉱工業全体を取ってみても、生産指数は戦争期間が長びくほど縮小する傾向にありました…。戦時中は、社会全体としては物的縮小再生産が確実に進行したことがあきらかだとしてよいそうです…。
かくして、イギリス政府の財政支出は、もっぱら一部の軍需産業関連部門の商品需要と設備投資に向けられ、全産業的には現実資本の拡大をも所得の増大をも生み出さなかったとされます…。けっか、加速する増税にもかかわらず、政府の収入増加率は支出増加率よりも低く抑えられ、政府収入の戦債依存度が高まらざるをえなかったようです…。こうして、中央銀行の信用膨張もますます加速し、イギリスではいわゆる戦時インフレの悪循環が定着してしまいました…。18 年の物価水準は 13 年の 2.3 倍のところまで上昇したそうです…。
結果労働条件が確実に悪化したため、労働組合の抵抗闘争も繰り返されたようで、政府は、戦争遂行のためには労働者階級との協力が不可欠であると判断し、労働者の不満を鎮静するために賃金上昇、戦時ボーナス支給、そのほかの労働条件の改善、さらに失業保険の拡充、選挙法の改正などをも約束することになったそうです…。けっか、18 年には実質賃金率がはじめて上昇し、実質収入は戦前の水準を超えるようになりました…。逆に、物価統制のほうはいっそう強化され、18 年における物価上昇比率をややゆるやかなものに変化させたそうです…。ほぼ以上がイギリス戦時経済の特徴だと把握できるようです…。
次に、これにたいして、アメリカ合衆国の戦時期の経済について考えていきましょう…。基本的にはイギリスと同様のものであったようですが、いかの3点においておおきく異なる側面をもっていたことが重要なようです…。
アメリカでは軍需品、特定の原料・農産物を中心とする商品輸出が急増し、それが先例のないほど大規模な貿易黒字を生み出したようです。いわゆる戦時好況ですね…。
これによって、戦時中をとおしてアメリカでは、イギリスとは異なる輸出ブームが展開されただけでなく、政府統制のひとつのはしらとして、輸出ではなく、輸出の調整、あとにはその管理が実施されざるをえなかったようです…。また、17 年 4 月以前の中立期と以後の参戦期とでは、アメリカ経済の様相がおおきく変化したようです。15 年以降の中立期においては、輸出ブームにもとづく金流入が激増したので、輸出および生産の増大は、もっぱら金準備の増加を基礎とする民間信用の拡張に支えられつつ実現したようで、これにたいして、参戦期には対外金移動が流出に転じはじめ、別記事でわたしが引用させていただいた、金本位制度の崩壊についての記事に記載のあるように、事実上の金本位制停止が実施されたとのこと。したがって、アメリカではやっと、イギリスと同様の、戦債発行と中銀(連銀)信用の膨張をはしらとする事実上の戦時経済構造が確立したとのこと…。
アメリカでは以上のような輸出ブームの上に、政府による膨大な支出が(うち 70% が直接に国内へ、30% が対外貸付をつうじる輸出増加として、間接的に…)喚起されたので、生産増大がイギリスよりもはるかにおおきくかつ全般的であったようです…。アメリカでも軍需生産の飛躍的増大が顕著であったとのことですが、最後の 18 年をべつにすると、非軍需生産さえ 14 年の水準を上まわったようです…。産業的にみても、生産は、建築の縮小と農業の停滞を別にして、鉱業でも製造業でも運輸業でも 30% から 40% ほど拡大したとのこと。とくに中立期の上昇率がたかかったようです。従って、企業利潤も全般的に増大し、軍需生産部門の利潤は巨額の規模に達したとのこと…。
農業の多くの部分が輸出ブームにあずかり、いっぽう、労働者について観ると、賃金の名目的上昇にもかかわらず、それをうわまわる消費者物価の急上昇によって、実質賃金率は停滞的であったそうです。しかしイギリスとことなって、労働時間の延長によって実質収入が確実に増加したとのこと。アメリカでは、生産、利潤、所得の顕著な増大があり、それらが他方での消費規制、消費者物価の上昇などによって比較的スムーズに貯蓄の増加、すなわち戦債の消化に向けられたとのこと。けっか、アメリカの戦費負担はイギリスより相対的に円滑にまかなわれ、物価上昇も、1918 年で 13 年水準の 1.9 倍程度にとどまったそうです…。並行して、賃金水準の標準化、8 時間労働制の確立、住宅保証、そのほかの労働条件の改善がすすめられ、戦時中に労資関連のおおきな変化が生じはじめたことも重要だそうです…。また、生産の増大のみならず、設備投資のいちじるしい拡大が見られたとのこと。18 年にそれがピークをかたちづくり、15 年の約 5 倍以上の水準にたっしたことがあきらかなようです…。
1939 年価格でデフレート(経済用語で、時価表示の時系列をそれに対応する物価指数で割ること。デフレートするといい、また、そもそもデフレーターとは、経済変量の物価変動を除去するためにもちいられる物価指数なのだそうです。価格修正因子とも…。コトバンク、Goo辞書などに記載あり…。)した結果によっても、18 年のそれは、15 年の約 2.5 倍の水準にあったこともあきらかなようです…。とりわけ留意すべきは、戦時中には機械より工場の新設比率がはるかにおおきく、とくに工場新築面積は 18 年に最高水準に達したとのこと…。
半オートメ化による乗用車の大量生産、という画期的生産方法(直接的にはジープ・トラックなどの自動車、航空機、潜水艦、機関銃など)への、政府による半強制的普及、あるいは弾薬製造を中心とする化学産業における急速な技術開発、また、それを可能にするような工場電化の採用、などによる生産力の高度化を含んでいたと、侘美氏は説いています…。同時に同過程で、政府による企業合同の推進、また、モルガン(戦時中の独占商会…)による産業企業の支配強化と合併の促進も、かくじつに進展していたようです…。
つまり、とくにアメリカにおいては、他国にないような経済的な力の飛躍的上昇が導かれたのであると、侘美氏は論じられております…。くわえて、これらの重大な戦争遺産については、1920 年恐慌の分析とも関連しているとのこと…。
氏の経済史アナリズムは非常に正確ですね…。わたしが侘美氏を知った時、世界恐慌の分析専門家としての、氏の正確きわまりない理論立てに、ずいぶんと驚いたものです…。
この記事で引用などした、とくにイギリス、アメリカにおける戦時経済分析は、第一次大戦終了後も確実に戦争遺産として残り、WWⅠすなわち第一次大戦と、それにともなう先進国経済のおおきな変容として、そのあとにつづく 1920 年代世界経済の動向の考察に十分な影響をあたえたものとして位置付けてよいかと思われます…。侘美氏が基本的に経済史的分析に終止し、スペイン風邪の存在について記載をおこなっていないことは、別記事でものべましたが、上記の経済史的要因は、世界恐慌への道を考える上で、WWⅠすなわち第一次大戦戦時経済があたえた影響をきわめて正確に分析したものであると、引用させていただいたわたしはかんじました…。
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