世界恐慌と第二次大戦前後の世界…

     不況にもがく合衆国と、世界システムの破綻… 

 アメリカ産業経済は、第一次大戦後、4 ~ 5 年かけて、その成長のピークを迎え、その後緩やかに衰退していきました。旧来の研究では、主に農業生産の余剰過多による農業不況や、株式暴落の時点でアメリカ合衆国にはかなり大規模な失業者が存在していたなどという事象が研究せられてきていました。経済史学者侘美光彦氏は、著作の、世界大恐慌(1994 年版、御茶の水書房)において、かなり肉厚な研究をなされており、ここで侘美氏の業績に細かく立ち入ることはしません。しかしその研究は無視できない詳細さをもっており、例えば、アメリカ合衆国の好景気は、第一次大戦戦勝国のなかで孤立したようなかたちで存在したこと、ドイツ経済はおろか、戦勝国のイギリス、フランスにおいても、極めて深刻な不況が慢性化していたこと、それに加えて、あまり大戦の影響を受けなかった、南米やインド、アジア地域では、アメリカ合衆国を中心とした新しい世界システムの稼働の中で、比較的好景気に近い状況が生まれていたことなどが列記されています。

 当時の世界経済の仕組みでは、南米、インド、アジア地域ならびに合衆国による国際貿易システムは、戦敗国ドイツならびに、西欧戦勝国諸国に対しては、負の作用しか生まなかったとされています。金本位制や国際為替の基礎知識が、わたくしにはないため、細かい事項には立ち入りませんが、大雑把にいえば、欧州経済の危機とでも呼べる状況が、1920 年代を通して慢性化しており、時おり起こる小規模な景気上昇も、欧州経済の危機というおおきな流れの中では、けっして事態を解決できるものではなかったと、侘美氏は分析しています。さらに、合衆国内に関しては、1920 年の不況から立ち直った産業界は、その後目覚ましい成長を遂げましたが、1924 ~ 5 年にははやくもその成長は鈍化し、よって産業ベースの合衆国好景気も、次第に鈍化していったとされています…。

1929 年 10 月の株式暴落により、それまでなんとか不況をしのいでいた欧州各国にも、産業ベースの深刻な不況が押し寄せ、世界規模の大恐慌が発生したことは周知の事実です。そうであれば、果して大暴落が起こる時点での合衆国の産業基盤と、欧州各国の経済状態はどうだったのかが、まず問われねばなりません。しかし、侘美氏の解説では、その時点で合衆国の産業基盤と、欧州の経済状態はもはやニューヨークの株式市場の独り歩きとは背理した、重度の機能不全に陥っていたのだと解かれています…。

      世界恐慌発生後の合衆国と、

      第二次大戦前後の国際社会…

 恐慌が大規模化した後では、フーヴァーが述べた、ファンダメンタリズムが順調なうちは不況は克服できるといった内容も当てにはできず、また、フランクリン・ルーズベルトの行ったニューディール政策も、根本的には、世界恐慌前の経済状況を取り戻すまでには至らなかったという通説は、かなり妥当だと感じられます。

 ニューディール開始後も、不況が再び起こり、よく経済史に出てくるテーマ、第二次大戦の勃発により、やっと合衆国経済は不況から脱したという見方は妥当だと言えます…。

 さらに言えば、本質的に景気が立ち直ったのは、大戦の終結で、アメリカ軍兵士が母国に帰国し、本格的な戦後復興が行なわれるまで待たねばなりません。ただし、実際経済史の分野においては、アメリカに好景気が戻るのにはもうすこし時間がかかり、大雑把に行って 1960 年代頃から本格的な戦後好況に入ったと見なされています…。戦前のドイツの不況は底をついたようで、ヒトラーの台頭も無理はなかったというのはよく知られています。では、合衆国はどうだったのかというと、ニューディールの後の経済的な救済状況は、大戦の軍需需要であり、その後、大戦後にドイツや日本が急速に復興する中で、1960 年代に入ってやっと本格的な戦後好景気がやってくるといった有様なのです。世界恐慌がどれだけの犠牲を払わせたのかが伺える史実と言えましょう…。





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