ヴァロワ朝からブルボン朝への時代的移行
ヴァロワ朝時代のフランスの諸問題が、ブルボン朝にはいって早急に解決されたとする見方は、あまり妥当ではありません。王の暗殺により幕を閉じたヴァロワ朝は、百年戦争の後、フランス王権の基盤を形成する時期として捉えられてよいと考えられます。
ブルボン朝にはいってから、王権神授説が生まれ、王国の中央集権化は、緩やかにはぐくまれて行きました。
ヴァロワ朝とブルボン朝のおこなった、二つの国際紛争は、イタリア戦争と 30 年戦争です。イタリア戦争に関しては別項に述べてありますが、イタリア戦争が終結した後のヴァロワ朝では、王権は主に、国内の宗教問題に悩まされるようになります。ユグノー戦争がそれです。国内内戦となり、おおくの犠牲者が出ました。よって、ヴァロワ朝の国力を大いに疲弊させたのは、イタリアを戦場としたイタリア戦争ではなく、大規模な内戦となったユグノー戦争だと把握されています。国はカトリック派とプロテスタントに二分され、戦場となった地域では、住民がその弊害をこうむりました…。
宗教内乱によって容体が悪化したヴァロワ朝は、王の暗殺もあり、ブルボン朝にとってかわられます。ここで興味深いのは、ブルボン朝のもとでは終始カトリックが国教とされたことです。ユグノー戦争の再来はなかったわけで、その代わりに、ブルボン朝は、30 年戦争という、新旧キリスト教徒の国際的な宗教戦争の泥沼へと巻き込まれます。ただ、30 年戦争に関しては、フランスは、国益のためにドイツのプロテスタントを支持してはいます。おもにブルボン朝とハプスブルグ家の一騎打ちの色合いが強い戦争と言えます。
二つ目の対外戦争時期(フランス、ブルボン朝期)
太陽王ルイ14世が行なった国際戦争は、フランドル戦争、オランダ戦争、アウグスブルク同盟戦争、スペイン継承戦争の4つです。ただ、ルイ14世の王としての権力を、もっとも悪化させたのは、上記最後の、スペイン継承戦争だと考えられます。ルイ14世は、他の欧州権力体に、対仏同盟を形成させてしまいました。つまり、ルイ14世の王権は絶大でしたが、周りは敵だらけだったのです…。
フランスが国外植民地経営など、国際的な政治力を発揮させ始めたのが、ルイ14世の時期だと考えられ、それはすでに、その先代のルイ13世の時期から始まっていました。太陽王とは言われるものの、スペイン継承戦争が終わるころには、フランスを取り囲む欧州各国の繋がりは、徐々に形成されていく段階でした…。フランスの大きな国力は、ほかの王権力体から注意深く捉えられ、植民地獲得闘争においても、欧州本国の領域争いにおいても、フランスは、すこしずつ孤立していきました。その孤立化が始まったのが、ルイ14世の崩御あたりからだと、歴史的に捉えられているのです…。
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